10年飽きなかったのは、分かりにくいことを分かりやすくすることだった

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Xで流れてきた投稿に、こうあった。 商売は「何が儲かるか」ではなく「何なら狂ったように続けられるか」で選んだほうがいい。 儲かる市場には人が集まるので、最後は飽きた人から脱落していく。 10年同じことを考えて、昨日より少し良くして、休みの日でも気づけばそのことを考えている。 そういう相手には、なかなか勝てない。

社会人になって20年目になる。 この話が腑に落ちたのは、ここ数年だ。

腑に落ちたのは、主張そのものではない。 自分が何に飽きて、何に飽きなかったのかを、ようやく両方並べられるようになったからだと思う。

題材は入れ替わっても、やっていることが変わらない

独立して10年ほど経つ。

最初に世に出したのは、Udemyに置いた簿記3級の教材だった。 そのあと扱うものは何度も入れ替わった。 連結会計の精算表、税務の申告実務、決算の数字、半導体メーカーの月次売上。 並べると脈絡がない。

ただ、どれも同じことをしている。 分かりにくいものを、分かりやすい形に作り替えている。 題材のほうは10年で入れ替わり、この動作だけが残った。

Excelと数字のパズル

Excelをガチャガチャいじるのは、何時間やっても苦にならない。 数字のパズルをずっと解いている感覚に近い。 会計士の仕事は、意外と天職なのだと思っている。

他の会計士から「この形式でこれを出してほしい」と頼まれて、要望どおりの品質で成果物を出し続けるのも、同じように苦にならない。 要望がはっきりしていれば、ずっと回せる。

説明を求められるのは面倒くさい

一方で、お客さんと話すのは正直めんどうくさい。 言わなければならないことがいちいち発生するし、数字を見れば分かることを、わざわざ言葉にして説明することになる。

われながら、ねじれている。 分かりにくいことを分かりやすくするのが好きなはずなのに、目の前の相手に説明するのは面倒でしかたがない。

ねじれているように見えて、消耗の仕方が違うのだと思う。 口頭の説明は、毎回ゼロから同じ手順をやり直す。 相手の反応に合わせて即興でやって、終わったあとに何も残らない。 教材や記事にしておけば、こちらが寝ている間にも読まれる。

好きなのは「分かりやすくしてあげること」ではなく、「分かりやすい形に作り替えること」らしい。同じ説明を二度する気にはならないが、同じ説明を一度きれいに固める作業には、いくらでも時間を使える。

違いは、あとに残るかどうかだ。 フローで流れていく仕事は、こなした端から消えるのでうんざりしてくる。 きれいに固めたものは残るし、そこで決めた言い回しや構成は、次の題材にも、次に作る人にも引き継げる。 ストックになると分かっているから、そこに時間を使うことを自分に許せる。

サッカーが飽きない理由

飽きずに続いているものが、仕事のほかにもう一つある。 サッカーだ。 20年以上やっているが、上手くなって得をすることは何もない。 プロになるわけでもないし、仕事につながるわけでもない。

それでも続くのは、一度で二度おいしいからだと思う。 走れば汗が出るし、続ければ筋肉がつく。 ボールの扱いは前より上手くなる。 終わったあとの水がむちゃくちゃうまい。 生きている実感がある。 一回動くだけで、健康も技術も気分もまとめて返ってくる。 生き物としてかなり合理的な活動だと思っている。

机に向かって何かを読んで、理解した気になることがある。 身体を通っていない理解は、あまり面白くない。 できなかったことができるようになる瞬間の面白さとは、質が違う。

遊びの3要件と、自己決定の3条件

今年の6月に、子どもの遊びの研究者が言う3要件について書いた。 自発性、自己報酬性、自己完結性。 自分から始めて、やること自体が報酬で、自分で終わりを決められる。 サッカーはこの3つを全部満たしている。

その半年前には、別の話として、続けられるかどうかは 自己決定的かどうかで決まる と書いていた。 そこで挙げた条件は、自分でルールを決められるか、自分で正解を定義できるか、結果責任を自分で負えるか、の3つだった。

並べてみると、同じ形をしている。

自己決定の3条件(2025年12月)遊びの3要件(2026年6月)
自分でルールを決められる自発性
自分で正解を定義できる自己報酬性
結果責任を自分で負える自己完結性

半年あいだを空けて、つんく♂の文章と保育の研究者という別々の入口から、同じところに行き着いていた。

分かりにくいものを分かりやすい形に固める作業も、この3つを満たしている。 誰にも頼まれずに始めるし、分かりやすくなったかどうかは自分で判定できるし、どこで終わりにするかも自分で決める。 説明を求められるほうの仕事は、始まりも終わりも相手が決める。 飽きるか飽きないかは、題材ではなく、この構造のほうで決まっていた。

続けられるが、積み上がらない

受託は続けられる。 苦にならないし、明日も同じようにできる。 それでも、売っているのは時間だ。 手を止めれば止まるし、去年の仕事が今年の売上を連れてくることもない。 10年やって残ったのは経験と信用で、勝手に働いてくれる資産ではなかった。

だからコンテンツを作ってきた。 教材を作り、記事を書き、サイトに積んできた。

ところが、こちらもまた労働集約だった。 1本を世に出すまでに何十時間もかかる。 作っている間は受託が止まり、受託をしている間はコンテンツが止まる。 結局、時間を別の場所で売り直しているだけではないか、という疑いはずっとあった。

飽きない構造は分かった。 そこに、積み上がる仕組みを乗せられるかどうかが残っていた。

簿記3級を毎年作り直せなかった理由

簿記3級の教材は、本当は「2026年版」として毎年少しずつ直したほうがいい。 試験の範囲も画面の見た目も少しずつ変わるし、古い年度の画面が出てくるだけで受講する側は不安になる。 鮮度が落ちた教材は、内容が正しくても選ばれにくい。

受講者には両方いる。 更新されているかどうかを気にする人と、気にせず中身だけ見る人と。 どちらもいるから、毎年の更新には意味があるし、やらなくても成立してしまう。

分かっていて、やらなかった。 毎年の作り直しにかかる手間に対して、返ってくるものが見合わなかったからだ。 プラットフォーム側にも、更新した教材が選ばれやすくなる仕組みがあるようには見えなかった。

この手間は、いま考えると、かなりの部分を機械に渡せる。 画面を差し替え、数字を今年のものに直し、変わった箇所を洗い出す作業は、AIが得意な形をしている。 毎年やるのが当たり前になれば、鮮度のほうで選ばれる教材になる。

Claude Codeを使って1年

Claude Codeを使い始めて1年が経った。

制作にかかる時間の内訳が、この1年でだいぶ変わった。 手を動かす部分を機械に寄せて、自分は何を作るかと、出てきたものが正しいかどうかだけを持つ。 この記事にしても、しゃべった内容を機械に起こさせて、そこから直している。 その形が、ようやく輪郭を持ちはじめた気がしている。

まだ「見えてきた気がする」以上のことは言えない。 先月も、何を売るかを詰めている最中に前提が二度ひっくり返ったばかりだ。 それでも、教材を毎年作り直せなかった理由のほうは、先に消えかけている。

ソフトウェアとコンテンツ、どちらにAIを使うか

仕事の分かれ方は、ソフトウェアの世界でも同じ形をしている。 受託の開発は、要件も納期も相手が決める。 自社のプロダクトは、何を作るかも、どこで区切るかも自分が決める。

分かりやすい形に固めて教材として置いておく仕事は、後者にあたる。 誰にも頼まれずに作って、分かりやすくなったかどうかを自分で判定して、これくらいでいいという線も自分で引く。 それを気に入った人が買って、見てくれて、課金が発生する。 創作と言ってしまっていい。 報酬の出方まで含めて、こちらのほうが性に合っている。

本当は、拡張の効くソフトウェアを持つのがいちばん強い。 ただ、AIが来て、ソフトウェアを作ること自体は誰にでもできるようになった。 作れることの希少さは、教材と同じようにこちらでも薄くなっていく。

そこで残るのは、その領域を分かっていないと作れないもののほうだ。 制度を読み違えると使いものにならないもの、間違えたときに責任を持てないもの。 会計と税務はどちらにも当てはまる。 そういう場所を選んで、制作の手間だけをAIに渡してコンテンツを積んでいく。 いま見えている道は、だいたいこの形をしている。

何を始めるかより、何なら10年飽きずにやれるか

投稿の言うとおり、商売は短距離走に見えて、飽きた人から消えていく耐久戦なのだと思う。

自分が何に飽きないかは、もう分かっている。 分かりにくいことを、分かりやすい形に作り替えること。 題材は簿記でも税務でも決算でも半導体でもよくて、10年やっても飽きなかった。

残っているのは、飽きない構造の上に、積み上がる仕組みを乗せられるかどうかだ。 そこは10年やって解けていない。 ただ、どちらへ寄せるのかは、はっきりしてきた。 自分でルールを決められて、自分で終わりを決められるほうだ。 10年後に読み返したとき、同じことを書いているのか、それとも仕組みの話を書いているのか。

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