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2030年、半導体の地政学はどう展開するか — 太田泰彦『2030 半導体の地政学』を読む

太田泰彦『2030 半導体の地政学 戦略物資を支配するのは誰か』(日本経済新聞出版)は、半導体を国際政治の主役に据え直した一冊だ。著者は日本経済新聞編集委員として、ワシントン・フランクフルト・シンガポールに駐在し、通商と先端技術の現場を長く追ってきた。本書を貫く問いはひとつ。2030年、半導体のサプライチェーンを誰が支配するのか

ここでは、序章と終章を軸に、本書が描く2030年の展開を整理する。

半導体は「産業のコメ」から「戦略物資」へ

1980年代、半導体は「産業のコメ」と呼ばれた。大量生産・安価・汎用、というイメージである。

著者は、その時代はもう終わったと言い切る。社会のデジタル化が進めば、それぞれ異なる仕事をこなす少量生産の専用チップが必要になる。EV1台に最低30個、高級車では100個以上。自動運転になれば、車そのものが半導体のかたまりになる。

そしてもうひとつの顔。国家の安全保障を左右する戦略物資としての顔だ。AIチップを積んだロボット兵器とドローン、マッハ5〜10で飛ぶ極超音速ミサイル、通信網の中枢。2020年9月のアゼルバイジャン対アルメニアの紛争で勝敗を決めたのは、トルコ製のドローンに積まれた半導体だった。山岳地で対象をピンポイントに撃てるか、そもそも飛べないか。差は搭載された半導体の性能だった。

「半導体が日本経済の首を絞める事件」、つまり供給途絶による自動車工場の停止も、本書が起点として扱う出来事のひとつである。

司令塔になったホワイトハウス

2021年4月12日午後。ジョー・バイデンは、ホワイトハウス西棟の「ルーズベルト・ルーム」で、グーグル、GM、フォード、インテル、マイクロン・テクノロジーなど19社のCEOをオンラインに集めた。ホワイトハウスはこの会議を「半導体CEOサミット」と呼んだ。

バイデンの隣に座ったのは、サリバン国家安全保障担当大統領補佐官、レモンド商務長官、ディーズ国家経済会議委員長。安全保障と経済政策の中枢が一堂に会した。

バイデンは超党派議員の書簡を読み上げた。「中国共産党は半導体サプライチェーンを再編して支配する侵略的な計画を抱いている」。そして米国製の半導体ウエハーを高く掲げてひとこと言った。

「これこそがインフラです」

20世紀のインフラが道路と橋だったとすれば、21世紀のインフラの主役は半導体である。この瞬間から、ホワイトハウスは半導体産業政策の司令塔になった。本書はそこを出発点にしている。

デカップリング、Quad、デジタル TPP

第II章以降、本書は米中デカップリングの深層、台湾争奪戦、習近平の「百年戦争」、欧州の黒子たちといった舞台を巡る。鍵となるのは、米国の国防関係者がよく口にする2つのキーワードだ。

  • Trusted Foundry: そこで生産される半導体チップなら信用できる、と事前に指定された工場
  • Zero Trust: 資材調達も通信も、デフォルトで何らかのリスクが潜むと前提する

7ナノ以下の最先端だけ押さえても、最も多く使われる10ナノ以上の生産・供給を中国に依存していたのでは本末転倒だ、と米国は学んだ。過去30年の国際水平分業の形が、ここで大きく変わる。

2021年9月、中国がTPPへの加盟を正式に申請する。1週間後に台湾が追いかける。6月には英国が交渉を始めていた。米国抜きで日本がまとめ上げたTPPが、突如、アジア太平洋の覇権をめぐる新しいゲームの舞台になった。著者はこれを、2021年のTPP議長国だった日本にとって「舞台回しの役を買って出る絶好の機会」と書く。

9月24日、Quad(日米豪印)の首脳会議がワシントンで開かれ、半導体を含む先端技術での協力で合意した。インドは米国と軍事同盟を結んでいない。それでも4カ国が先端技術で連携するのは、軍事戦略と同等の価値を技術戦略に見出しているからだ。半導体サプライチェーンで連携すること自体が、地政学的な国家戦略になる

クアッドに限らず、いろいろな国の組み合わせで「半導体同盟」と呼べる連携が進む。インド太平洋、とりわけ環太平洋、そのなかでも南シナ海が主戦場になる。デジタル分野だけを切り出した「デジタル TPP」も案として浮上している。条件は、台湾と韓国の参加、そして米国の復帰だ。

「描く・つくる・使う」— 日本の立ち位置

著者は、複雑な半導体バリューチェーンを枝葉を省いて見れば、3つの種類に整理できる、という。

種類仕事代表企業日本の強さ
描く設計図を描く(建築家)Qualcomm、NVIDIA、HiSilicon、Arm有力企業がいない
つくる製造する(棟梁・大工)TSMC、Samsung、Applied Materials、東京エレクトロン、信越化学、イビデン強い
使う用途を考える(施主)GAFA、テスラ、トヨタ、Apple、Microsoft発展途上

「使う」があれば、自ずと「描く」が発達し、「つくる」もついてくる。米国の吸引力の本質は、「こんな半導体チップがあったらいいな」と思いつく起業家精神にある、と著者は書く。データセンターを持つGAFA、テスラ、消費者向けAI端末の企業群。米国にはアイデアの湧き出る土壌がある。

日本には「描く」もある。「つくる」も得意だ。だが「使う」が弱い。装置・素材で競争力があっても、ファウンドリーがなければ、産業の性格としては従属的にとどまる。TSMC熊本工場の誘致は間違いではないが、それを核にサプライヤーが集積するかは未知数だ。半導体産業の復興は、未来の社会を描くユーザー企業の想像力にかかっている

2030年への2つの壁 — シリコンサイクルとムーアの法則

著者は最後に、半導体産業が乗り越えなければならない2つの壁を提示する。

シリコンサイクル

工場一つで兆円単位の投資、部品・材料・製造装置のサプライチェーンが複雑、という構造から、約4年周期で好不況が訪れる。需要が減れば在庫が積み上がり、回復局面で投資して1〜2年後に工場が動き始める頃には、また需要が落ち始める。

この繰り返しは、地球規模で壮大なエネルギーの無駄を生んでいる。大げさに言えば、半導体が地球を殺しかねない、というのが著者の警告だ。

突破口として著者が挙げるのが、ビッグデータとAIによる需給予測である。2030年までには、AIでかなりの精度で部品・材料の流れがつかめるようになっているはずだ、という。サプライチェーン全体に対する「気象台」のような仕組みがあれば、各社は右往左往しなくて済む。

ムーアの法則

線幅は7ナノ、5ナノ、3ナノ、2ナノと細くなり、もうウイルスより小さい世界に入った。さらに微細化できたとしても、安定した製造は難しい。

期待される突破口が3D実装だ。電子回路を平面に詰め込むのではなく、2階建て・3階建て・高層ビルのように積む。TSMCはこの分野で東京大学の黒田研究室と組んだ。クリフ・ホウTSMC上級副社長は本書の中でこう語っている。

「ムーアの法則の終焉がよく語られますが、私たちはそうは考えていません。3D技術が進歩すれば、まだまだ集積度は上がります。日本はこの分野に強い。だからこそ私たちは東大と組みました」

3Dチップは、距離が短い分、電力を食わない。3Dチップとはグリーンチップでもある、という整理だ。日本での研究が実を結べば、「消費電力の壁」も同時に破れる可能性がある。

2030年への日本の戦略 — 著者の見取り図

本書の構図をまとめると、2030年に向けて起きるのは次の4つの動きだ。

  1. 半導体は「コメ」から「武器」へ。社会インフラであると同時に、敵対する国の社会を崩壊させる手段にもなる。米国はホワイトハウスに司令塔を置き、Trusted Foundry と Zero Trust の発想でサプライチェーンを管理する側に回った
  2. デカップリングは部分的・選別的に進む。最先端だけでなく汎用ノードも含めた管理に広がる。半導体サプライチェーンでの連携自体が同盟関係になる
  3. 舞台は環太平洋。TPP・デジタル TPP・Quad・有志国の「半導体同盟」が重なり合う。日本は議長国・舞台回しとして主導する余地がある
  4. 技術の主戦場は3D実装と省電力。微細化の延長線ではなく、積層と「使う側」の発想で進む。シリコンサイクルもAIで平準化に向かう

そして著者の結論はシンプルだ。日本に必要なのは、米国型を真似てチェーンを完結させることではない。グローバル・バリューチェーンの中で、できるだけ多くの要衝を押さえ、中国にも米国にも一目置かれる立場を取ることだ、と。「描く」「つくる」「使う」のどこを伸ばすか。シナリオは、自国の長所と短所を正しく理解することから始まる。

読後メモ

本書は2021年末時点での観測を基に書かれている。本稿執筆時点(2026年6月)から振り返ると、TSMC熊本工場は稼働し、Rapidus が北海道で先端ロジックに挑み、米国は CHIPS Act の補助金配分を進めた。Anthropic と Micron の戦略提携のように、AI企業が直接メモリ供給をロックインする動きまで出ている(参考: Anthropic が Micron と戦略提携)。本書の見立てた構図は、おおむねその後の展開を先取りしていた。

2030年まで残り4年。「描く」「つくる」「使う」のどこにベットするかという問いは、日本の産業政策にも、個別企業の戦略にも、まだ突き刺さったままだ。


書誌情報: 太田泰彦『2030 半導体の地政学 戦略物資を支配するのは誰か』日本経済新聞出版、2021年。著者は日本経済新聞編集委員(執筆当時)。中国「一帯一路」構想の報道で2017年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。