水木しげるの幸福の七ヶ条はなぜここまで尖っているのか——各条の出どころを本人の人生から辿る
第六条「怠け者になりなさい(若い時はダメ)」の意味を別記事で整理した。書いていて、もう一つ気になることがあった。
七ヶ条はぜんぶ、自己啓発書としては言い切りが極端に振り切れている。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行なってはいけない
第二条 しないでいられないことを続けなさい
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし
第四条 「好き」の力を信じる
第五条 才能と収入は別。努力は人を裏切ると心得よ
第六条 怠け者になりなさい(若い時はダメ)
第七条 目に見えない世界を信じる
「成功を目的にするな」「他人と比較するな」「努力は人を裏切る」「目に見えない世界を信じる」。どれも普通の自己啓発書なら角を丸めて書く話で、水木はそこを丸めず、ほぼ命令形で書き切っている。
なぜここまで尖るのか。本人の人生軌跡を並べていくと、各条がどこから出てきたのかが見えてきた。
先に結論
水木の七ヶ条が振り切れている理由は、人生の前半が 「世間が言う成功ルートが全部裏切られた経験」 で出来ているからだ。
- 戦争で 左腕を失った
- 戦友の多くは死に、自分だけ帰った
- 戦後に始めた紙芝居・貸本は 40歳を過ぎても食えなかった
- ようやく『鬼太郎』が当たった後は 過労で死にかける ほど描いた
普通の自己啓発書が「努力すれば報われる」と書ける根拠を、水木は一度ぜんぶ失った人だ。だからこそ「成功や栄誉を目的にするな」「努力は人を裏切る」と言い切れる。
七ヶ条は、立派な人が机の前で考えた処世訓ではない。水木自身が世間のルールに裏切られて、それでも生き延びるために発明した代替ルール だった。
水木の人生軌跡(最低限)
各条の出どころを辿る前に、本人の年表を粗くだけ並べる。
- 1922年 大阪で生まれ、鳥取県境港で育つ。「のんのんばあ」という近所の女性から妖怪の話を聞いて育つ
- 1943年 徴兵。南方戦線・ラバウル(パプアニューギニア)へ
- 戦地 マラリア、爆撃。左腕を失う。所属部隊のほとんどが戦死した中、本人は生き延びる
- 1946年 復員
- 戦後 アパート「水木荘」を管理しながら 紙芝居作家 に。これがペンネームの由来
- 1957年〜 貸本漫画家としてデビュー。極貧時代 が続く
- 1965年 『墓場の鬼太郎』が『週刊少年マガジン』連載化
- 1968年 アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』放映開始。40代後半でようやく売れる
- 売れた後 大量のアシスタントを抱え、過労で何度も倒れる
- 晩年 世界中を歩いて妖怪をフィールドワーク、エッセイを書き続ける
- 2015年 93歳で没
各条の出どころ
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行なってはいけない
水木は紫綬褒章も文化功労者も受けている。それでも「自分を成功者だと思っていない」と書いていた人だ。
40代後半まで売れず、売れた後は過労で死にかけた。賞や肩書きを取った時にいちばん幸せだったかと言えば、たぶん違う。売れる前に妖怪を描いていた時間 や、戦後に焼け跡を歩いていた時間の方が、本人にとって幸福の純度が高かったように見える。
「成功を目的にするな」は、成功を否定する言葉ではなく、成功を目的にした人生は、成功した後に空っぽになる ことを身をもって知っている人の警告だ。
第二条 しないでいられないことを続けなさい
水木がいちばん体現していた条がこれだ。
紙芝居でも貸本でも売れなかった時代、世間は「妖怪なんか今さら」という空気だった。それでも水木は妖怪を描き続けた。理由は単純で、他に描きたいものが無かった からだと思う。
「したい」ではなく「しないでいられない」と書いてあるのが大事で、ここには やめようとしてもやめられないものだけが、長期の貧乏に耐える という現実の手触りがある。水木にとっての妖怪が、それだった。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし
水木は同時代の漫画家と作風で被らなかった。手塚治虫・石ノ森章太郎・赤塚不二夫らがいる中で、妖怪マンガという独立したジャンルを一人で耕した。
これは戦略というより、他に自分が楽しめる道が無かった 結果だと思う。比較しようにも、同じ土俵に立つライバルがそもそも居なかった。
「他人と比較するな」は、競争を否定する言葉ではない。比較を続けると自分の楽しさが摩耗する という、戦中に「他人と同じ」を強要されて生き残った人の実感に近い。
第四条 「好き」の力を信じる
これは第二条と裏表だ。
水木が貸本時代の極貧を抜けられたのは、運も大きいが、妖怪が好きだったから手を止めなかった という単純な理由が一番大きい。後年の妖怪研究、世界各地のフィールドワークも、ぜんぶ「好き」が原資になっている。
「好きの力を信じる」は精神論ではなく、好きじゃないものは長期で続かない、長期で続かないものは何にもならない という、貸本時代に何百冊も書きながら確かめた経験則の話だ。
第五条 才能と収入は別。努力は人を裏切ると心得よ
七ヶ条のなかで、いちばん身も蓋もない条だ。
水木の貸本時代は、努力しても食えなかった。徹夜で描いて納品しても、貸本の単価では家賃が払えない。そんな日々が10年以上続いた。
「努力は人を裏切る」は、努力を否定しているのではなく、努力すれば報われると信じて頑張ると、報われなかった時に折れる という構造への警告だ。水木は折れずに済んだ。理由はたぶん第二条と第四条で、「報酬抜きでも続けたいもの」を握っていたからだ。
努力と収入を切り離せる人だけが、長期の不遇を生き延びられる。これは戦地で「真面目に頑張った戦友ほど早く死んだ」のを見てきた人の言葉でもある気がする。
第六条 怠け者になりなさい(若い時はダメ)
これは別記事で詳しく書いた。
短くまとめると、若いうちは「好き」と努力を貯金する時期、中年以降は貯金を土台に意図的に怠ける時期、という二段構えの処方箋だ。括弧書きの「若い時はダメ」は、若い人を縛る注釈ではなく、怠けの正体が「重要じゃないことに反応しない選別眼」 であることを伝えるためのヒントだった。
水木自身、売れた後に過労で死にかけた経験があるからこそ、この条を強く書ける。
→ 詳細: 第六条「怠け者になりなさい(若い時はダメ)」の意味
第七条 目に見えない世界を信じる
七ヶ条のなかで、いちばん「水木にしか書けない」条だ。
水木は妖怪を描き続けた人だが、それは「商売のネタ」ではなくて、本気で目に見えない存在を 居るもの として扱っていた節がある。境港で育った時に「のんのんばあ」から妖怪の話を聞いた幼少期、戦地で死んだ仲間たちの存在、それらが地続きで本人の中にあった。
ラバウルで部隊のほとんどが戦死し、自分だけ片腕を失って帰ってきた人にとって、「目に見えないもの」は文字通り 死んだ戦友たちの影 でもある。
第七条は宗教の話というより、世間が「効率」とか「数字」と呼ぶものの外側にも世界がある という、戦争を抜けてきた人の経験則だ。クリエイターにとっては、ここを信じられるかどうかが、長期で作り続けられるかの分岐点になる。
なぜここまで尖るのか——七ヶ条が振り切れている理由
各条を並べ直すと、共通の構造が見える。
- 世間が「成功」と呼ぶものを一度ぜんぶ失った人 が書いている(戦争、貧乏、過労)
- その失った経験から、世間のルールではない代替ルール を発明した
- その代替ルールは、丸めて書くと意味が薄まるので、命令形で言い切る しかない
普通の自己啓発書は、読者を傷つけないように「努力は大事ですが」「成功も大事ですが」と前置きをつける。水木はその前置きを全部削った。
理由はたぶん単純で、前置きをつけるほどの余白が、本人の人生に無かった からだ。左腕は戻ってこない。死んだ戦友も戻ってこない。貸本時代の10年も戻ってこない。その重さで書かれた言葉だから、ぜんぶ言い切りになる。
自分への取り出し
七ヶ条を通して読むと、これは「幸福になる方法」ではなくて、「世間のルールに裏切られた時に、それでも壊れない人になる方法」 だ。
文章を書く側・モノを作る側に立つと、これがそのまま職業倫理になる。
- 第一条・第三条:賞や評価や他人との比較を、書く動機にしない
- 第二条・第四条:「しないでいられないこと」と「好き」を見失わない
- 第五条:努力と収入が一致しない時期に折れない準備をしておく
- 第六条:若いうちは積み、中年以降は選別眼を効かせる
- 第七条:効率や数字の外側に世界があると信じる
水木がここまで尖って書けたのは、本人がここまで尖ったルールで実際に93歳まで作り続けたからだ。
七ヶ条は、人生で一度くらい、世間のルールに裏切られた経験のある人にしか、たぶん本当には届かない。逆に言えば、裏切られた経験がある人にとっては、これより頼れる処世訓もそうない。
補論:第二条と「経済的独立のあとに残るもの」
七ヶ条のなかで、今の自分にいちばん刺さるのは第二条「しないでいられないことを続けなさい」だ。
社会に出ると、たいていの人はまず経済的自立に夢中になる。子供の頃にやりたかったことは、たいてい大きく稼げないルートだから、現実的にもう少し金になる仕事を選ぶ。社会からの要請、あるいは親の教育による「働いて稼ぎなさい」という呪いのようなものが、進路選択の時点でかかっている。そうして数年・十数年と走っているうちに、もともとやりたかったこと自体を忘れる。
別の日記(経済的独立の「あと」に何をするか)で書いた話と地続きで、経済的独立のあとに残る行動こそ、生活費という言い訳を剥がした、その人の素の動機 だ。仮に3億円が手元にあったら何をやるかと自問した時に出てくるものが、第二条が言う「しないでいられないこと」と重なる。
ここで第五条と組み合わせて読むと、水木の凄みが立ち上がる。「しないでいられないことを続けろ」と命じながら、同じ口で「努力は人を裏切る」と言い、しかも誰のせいにもするなと突き放す。報われない可能性が高いことを最初に告げた上で、それでもやれ、と言う。
これはたぶん、戦争で一度自分が死ぬ寸前まで行った人にしか書けない論理だ。所属部隊の大半が戦死し、自分は片腕を失って帰った。そこから先の人生は、本人にとって 「儲け者の人生」 だったはずだ。どんなに貧乏だろうが、死ぬよりはマシ。だから期待や見返りを設計図から抜いて、しないでいられないことを続けられる。
「成功や栄誉を目的にするな(第一条)」も「努力は人を裏切る(第五条)」も、ここに同じ根を持っている。一旦死んだ前提で生き直している人にとっては、見返りの設計図ごと不要になる。
経済的独立がなぜ「あと」の生き方を問うかと言えば、生活費という言い訳が剥がれるからだ。水木の場合、戦争がそれを早回しで剥がした。第二条は、その状態に到達した人にだけ書ける、生存戦略の最終形に近い。
経済的独立を3億円に置こうが1億円に置こうが、ゴールに着いた時に残るものは、結局のところ自分が「しないでいられないこと」だけだ。それを資産形成のあとに探し始めるのと、走りながら少しずつ生きておくのとでは、たどり着いた時の手触りがまったく違う。第二条は、資産形成の 前から効かせておくべき条 だ。
出典
- 水木しげる『水木サンの幸福論』角川文庫
- 水木しげる『水木しげるのラバウル戦記』ちくま文庫
- 水木しげる Wikipedia(生年・経歴)
- 鳥取県公式サイト「水木しげる先生」ページ
- 「『なまけ者になりなさい。』漫画家・水木しげる『幸福の七カ条』とは」毎日が発見ネット