ATP合成酵素が回る動画を16本集めた。CGと実写の両方を見ないと熱ゆらぎを見落とす
時間がないなら、この3本を30分で
手元にある3本のポストは、別々の話に見えて同じ1つの装置を指している。ATP合成酵素という、細胞の中で実際に回っているモーターだ。
- ポスト①「ATPの作られ方と運ばれ方は何度みても飽きないくらい面白い」
- ポスト②「熱力学第2法則の穴を如何にして突いて効率を最適化しているかが面白すぎる」
- ポスト③「エネルギー源はATPで、ATPは分子モータによって生成されてて、その分子モータを回す触媒が酸素だった」
動画には3系統ある。全体の見取り図を描く精密CGアニメーション、顕微鏡で本当に撮った実写、そして研究者本人の講義だ。順番を間違えると効率が悪い。まず見取り図、次に装置、最後に本物の動き。
| 順 | 動画 | 尺 | ここで分かること |
|---|---|---|---|
| 1 | Kurzgesagt「Why Are You Alive – Life, Energy & ATP」 | 約11分 | 食べ物から仕事までの全体像 |
| 2 | WEHI.TV「Synthesis of ATP」 | 約2分 | ATP合成酵素という装置そのもの |
| 3 | 歩くミオシンVの高速AFM映像 | 約1分 | CGが描いていない本物の揺れ |
この3本目で受ける印象が、たぶん一番大きい。理由は後半に書く。
3本のポストは、同じ鎖の別々の場所を指している
ポスト③の言い回しには、直しておくと見通しがよくなる点が3つある。どれも細かい話ではなく、動画を選ぶときの軸になる。
酸素は触媒ではない。触媒は反応を助けても自分は消費されないが、酸素は電子と水素を受け取って水になり、消費される。役割は「鎖の末端で電子を引き受ける係」だ。引き受け手がいないと電子が手前で詰まり、鎖全体が止まる。息を止めると苦しいのは、燃料が切れるからではなく、行列の出口が閉まるからだ。
電位差ができているのは細胞膜ではなくミトコンドリア内膜。ただし細菌なら細胞膜で合っている。細菌は内膜を持たないので、同じ仕掛けを外側の膜でやっている。もうひとつ、膜の内外にあるのは電位差だけでなく水素イオンの濃度差でもあって、2つ合わせてプロトン駆動力と呼ぶ。
ATPはエネルギー源というより通貨。体内にあるATPの量自体はせいぜい数十グラムしかない。それでも足りるのは、同じ分子が1日に何百回も充電し直されるからで、1日に作り直されるATPの総量は体重とほぼ同じという見積もりがある(Buono & Kolkhorst, 2001)。
系統1 — 精密CGアニメーション
装置の形と手順を頭に入れる用途では、ここが一番効く。
Synthesis of ATP(WEHI.TV, 2018) — Drew Berry と Franc Tétaz の制作。ATP合成酵素だけを正面から描く。呼吸の3部作の1本で、解糖系とピルビン酸脱水素酵素複合体の回も同じシリーズにある。この分野の映像の基準点。
Powering the Cell: Mitochondria(XVIVO / ハーバード) — ミトコンドリアの中で電子伝達系がプロトンを汲み出し、ATPができるまで。ポスト③が引っかかった部分がそのまま映っている。
The Inner Life of the Cell(XVIVO / ハーバード, 2006) — 8分半。2006年のSIGGRAPHで公開されて以来、この分野で一番有名な映像。キネシンが小胞を背負って微小管を歩く場面は、たぶん見たことがあるはず。
Protein Packing(XVIVO, 2014) — 同じシリーズの続編だが、狙いが違う。XVIVO自身が「細胞の中の分子的な混沌をより正確に描く」ためと説明していて、タンパク質が細胞質の約4割を占める混雑の中で、ランダムに見える動きで揺れている様子を描く。次の節で効いてくる1本。
Why Are You Alive – Life, Energy & ATP(Kurzgesagt, 2020) — 約11分。装置の細部ではなく、なぜ生き物がエネルギーを流し続けなければならないのかを扱う。ポスト②の関心に一番近い一般向け動画。
Electron Transport Chain(HHMI BioInteractive) — 4分27秒。教材として作られているぶん、どの複合体が何をするかが省略されない。転写テキストもダウンロードできる。
Electron Transport and ATP Production in Cells(BioVisions / LabXchange) — 上と同じ範囲を、ハーバードのBioVisions側の映像で見る版。
ATP Synthase: Proton-powered Rotation(Catalyst University) — 教科書的な解説。CGの美しさより、なぜプロトンが戻ると回るのかの説明を求めるならこちら。
ATP synthase(PDB-101) — タンパク質構造データバンクの教育サイト。クライオ電子顕微鏡で分かった複数の回転状態をつないだアニメーションで、上下2つのモーターが同じ軸でつながっている構造がはっきり見える。
あの有名な場面は、何が観測で何が解釈か
Inner Life of the Cell のなかで一番知られているのは、青い小胞を引いてキネシンが微小管を歩く場面だ(上に挙げた3分版では1分24秒あたり)。Xで「これが幸福の正体」「神経の中をミオシンがエンドルフィンの袋を運んでいる」という文章を添えて広まったので、動画本体より先に切り抜きのほうを見た人も多い。
出所をたどったeasternblot.net の記事によると、その触れ込みは3つ外れている。ミオシンではなくキネシンで、運んでいるのは「エンドルフィンの袋」ではなくただの小胞、そして脳に限った話でもない。同じ記事が最後に書いているのは、実際の細胞の中はとても混雑していてこんな空洞ではない、ということだ。
歩き方そのものにも裏話がある。制作した John Liebler によれば、キネシンはもともと企画に入っていなかった。Graham Johnson が2000年に作ったキネシンの一歩のアニメーションを見て、自分でモデリングして歩行サイクルを付けたら通ってしまった、という順番だという。あの颯爽とした歩きは、アニメーターが付けたウォークサイクルである。
では全部が作り話かというと、そうではない。あの場面は層になっていて、層ごとに確からしさが違う。
| 層 | 実体 | 位置づけ |
|---|---|---|
| かたち | X線結晶構造解析とクライオ電顕で原子の配置まで決まっている | 観測 |
| 歩幅と燃費 | 1歩8nm、1歩につきATP 1個 | 観測 |
| 静止画と静止画の間の動き | 測った状態の間を補間している | 解釈 |
| 空間・光・テンポ・音楽 | 見せるための演出 | 創作 |
8nmは微小管のチューブリン二量体の間隔で、1歩にATPを1個使うことも測られている(Schnitzer & Block, Nature 388: 386-390, 1997)。二つの頭が交互に前へ出ることも、微小管のプラス端に向かって進むことも測定の結果だ。外れているのは動きの質と周りの環境であって、数字ではない。
外れ方は4つある。第一に、空いていない。XVIVO自身の説明によればタンパク質が細胞質のおよそ4割を占めるので、実際は人混みをかき分けて進むことになる。第二に、前の足を前へ出していない。遊離した側の頭は熱運動に叩かれて振り回されていて、たまたま次の座に当たったときに結合する。第三に、水が描かれていない。常時、水分子に殴られ続けている。第四に、慣性がない。この大きさでは粘性が支配的なので、モーターが止まれば荷物も即座に止まる。惰性で流れていく描写があれば、そこは嘘だ。
つまり「分子を直接見る手段がないからアニメーションは解釈だ」という言い方は、半分だけ正しい。かたちと数字は測ってある。測っていないのは、測った点と点をどうつなぐかだ。
系統2 — 実写。ここで印象が変わる
前の節で解釈に分類した層、つまり測った状態と状態の間の動きを、そのまま撮ってしまった仕事がある。ここを見たあとだと、CGの印象がかなり変わる。
High-Speed AFM: Supplemental Video 4(Annual Reviews) — 高速原子間力顕微鏡で撮った、アクチン繊維の上を歩くミオシンVの映像。安藤敏夫らが2010年にNature に発表したもの(Kodera, Yamamoto, Ishikawa, Ando, Nature 468: 72-76)。前の足が次の足場を探して振り回されている。CGの颯爽とした歩きとは似ていない。
実写というなら、回転そのものを最初に見せたのも日本の仕事だった。1997年、野地博行・安田涼平・吉田賢右・木下一彦が、F1部分の軸に蛍光標識したアクチン繊維を結びつけ、顕微鏡でその回転を直接観察した(Nature 386: 299-302)。以後の数字も具体的で、
- 120度ずつの離散的なステップで回り、1ステップの仕事がATP 1分子の自由エネルギーにほぼ等しい(Yasuda et al., Cell 93: 1117-1124, 1998)
- ATPが十分にあるときの回転は毎秒130回転ほど(Yasuda et al., Nature 410: 898-904, 2001)
1ステップの仕事が燃料1個ぶんの自由エネルギーにほぼ等しい、というのがポスト②の言っている話の中身だ。マクロな熱機関の効率は熱源と冷却先の温度差に縛られるが、この装置はそもそも温度差で動いていない。まわりの水分子がぶつかってくる熱運動そのものを使い、化学反応で戻れない方向だけを塞いで、行きたい向きにだけ進む。抜け道というより、そういう設計の機械が別に成立している。
系統3 — 研究者本人の講義
野地博行「工学とは何かI 分子モーター ATP合成酵素」(UTokyo Channel) — 回転を直接観察した当人による、高校生向けの模擬講義。日本語で通して聞ける解説としては、これが一番あたりが柔らかい。東京大学のチャンネル側にも同じものがある。
ATP合成酵素の制御機構(JST Channel) — 科学技術振興機構のプロジェクト紹介。作るだけでなく、いつ止めるかという制御の話まで入る。
Drew Berry「Animations of unseeable biology」(TED, 2011) — 制作者側から見た話。分子の動きを直接見る手段がない以上、アニメーションは観測ではなく解釈だという前提から始まる。CGを見るときの姿勢が変わる。2022年の技術解説版のほうが作り方には踏み込む。
Ron Vale「Molecular Motor Proteins」(iBiology) — キネシンの発見者自身による講義シリーズ。発見の経緯を語る回もある。1本目は一般向け、後半は院生向けの構成。
The Most Misunderstood Concept in Physics(Veritasium, 2023) — 分子モーターの動画ではないが、ポスト②の「第2法則の穴」を扱うならここを踏んでおくと、穴ではないことが分かる。
熱ゆらぎを一方向の動きに変える仕掛けそのものについては、動画より原典が早い。ファインマンが物理学講義の第46章 Ratchet and pawl で、ブラウン運動で回る爪車がなぜ永久機関にならないかを説明している。全文が無料で読める。分子モーターの教科書はほぼ例外なくここを出発点にしている。
「運ばれ方」の動画は手薄だった
ポスト①の「運ばれ方」には2つの意味があり、扱いの厚みがかなり違う。
細胞の中で荷物が運ばれる話、つまりキネシンやダイニンが微小管の上を歩く話は、動画が豊富だ。Inner Life of the Cell と iBiology の講義でほぼ足りる。
一方、ミトコンドリアの中で作ったATPを外へ出す話は、探した範囲では一般向けの動画が見つからなかった。ADP/ATP輸送体が膜をまたいでADPを取り込みATPを吐き出す仕組みも、筋肉や脳でクレアチンリン酸が緩衝材として働く仕組みも、出てくるのは論文と構造図だった(YouTube・HHMI BioInteractive・PDB-101・Web検索で確認)。ここは記事や教科書で補うしかない。
検索するときに引っかかる2つのこと
ひとつ。「ATP synthase animation」で検索すると、創造論を掲げる団体の制作した動画が上位に混ざる。たとえば The ATP Synthase Enzyme は Creation Ministries International の制作で、映像自体はよくできているが、結論部分は科学の解説ではない。ポスト①が「創造主が神すぎる」と書いているのは明らかに言葉のあやだが、検索結果のほうは本気なので、チャンネル名は見てから使うといい。
ふたつ。切り抜きで回ってくる分子の動画は、キャプションが原典と食い違っていることが多い。「幸福の正体」の件がまさにそれで、映像自体は正確なのに、添えられた説明だけが別物になっていた。気になったら出どころの動画にあたるのが早い。XVIVO も WEHI も、自分のチャンネルに原版を置いている。
ポスト②の言う「熱力学第2法則の穴」は、正確には穴ではない。揺れを消そうとせず、揺れを前提にして一方向だけを通す設計になっている、という話だ。そして、そう設計されていることが一番よく分かるのは、きれいなCGではなく、ガタガタ揺れる実写のほうだった。
仕組みのほうを読む
この記事は動画のカタログなので、中身の説明は別に書いた。ATPの作られ方と運ばれ方、第2法則をどう扱っているか、酸素が燃料ではない理由を、数字と出典つきで3章に分けてある。