ATPはどう作られ、どう運ばれるか。熱ゆらぎを味方にする仕組みと、酸素が燃料ではない理由

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先に結論

  • ATPは遠くへ運びにくい。だから細胞は工場のほうを運ぶ。ミトコンドリアはキネシンに引かれて、電力を使う場所まで歩いていく
  • 効率がほぼ100%なのは第2法則の抜け道ではない。そもそも熱機関ではないので、カルノー効率という上限が当てはまらない。熱ゆらぎは敵ではなく、動力の一部として使われている
  • 酸素は燃える相手ではない。電子の出口である。出口が塞がると、鎖の手前が全部詰まって止まる

以下、この3つを順に見ていく。数字は測定値に当たり、出典を付けた。

ATPの作られ方と運ばれ方

作られ方 — 電子の落差をプロトンの圧力に替える

食べ物から抜いた電子がNADHとして還元電位マイナス0.32ボルトから入り、複合体I・III・IVを通りながらプロトンを膜の外へ汲み出し、最後に酸素がプラス0.82ボルトで電子を受け取って水になる。この1.14ボルトの落差が動力になり、戻るプロトンの流れがATP合成酵素を回す
図1: ATPを作る動力は電子の落差1.14ボルト。酸素はその落差の底にいる

順番はこうなっている。まず食べ物を解糖系とクエン酸回路で分解し、糖や脂肪から水素と電子を抜き取ってNADHやFADH₂という運搬役に載せる。次にミトコンドリア内膜に埋まった複合体I・III・IVが、この電子をバケツリレーで送りながら、その勢いでプロトン(水素イオン)を膜の外へ汲み出す。

汲み出された結果、膜の内と外にプロトンの濃度差ができる。同時に電荷が偏るので電位差もできる。この2つを合わせてプロトン駆動力と呼ぶ。1978年のノーベル化学賞は、この仕組み(化学浸透説)を提唱したPeter Mitchellに贈られている。

そしてプロトンが膜を戻る流れが、ATP合成酵素を回す。この酵素は上下2つのモーターが1本の軸でつながった構造をしていて、膜に埋まったFo側がプロトンの流れで回り、軸を介して頭のF1側を回す。F1には触媒部位が3つあり、軸が回ると順にかたちが変わって、ADPとリン酸を押し合わせてATPにする。この「かたちが変わることで合成する」という機構を提唱したPaul Boyerと、構造を決めて裏づけたJohn Walkerが、1997年のノーベル化学賞を受けている。

数字で押さえておくと具体的になる。

  • ヒトのc環は8個のサブユニットでできていて、1回転で3個のATPができる。つまりATP 1個あたりプロトンが約2.7個
  • 回転は120度ずつの離散的なステップで、ATPが十分にあるときは毎秒およそ130回転Yasuda et al., Nature 410: 898-904, 2001
  • 回っていることは推測ではない。1997年に野地博行・安田涼平・吉田賢右・木下一彦が、軸に蛍光標識したアクチン繊維を結びつけて顕微鏡で直接見ている(Nature 386: 299-302)

運ばれ方 — 3段構えで、最後は工場ごと動かす

できたATPがどう届くかは、意外に手が込んでいる。3つの層がある。

第一に、ミトコンドリアの外へ出す。 ATPはマトリクス側で作られるので、まず内膜を越えなければならない。これを担うのがADP/ATP輸送体で、ADPを取り込みながらATPを吐き出す交換輸送をしている。膜電位がこの輸出を後押しすることが2024年に構造的に示された。プロトン駆動力はATPを作るだけでなく、運び出しにも使われている。

第二に、細胞質を渡す。 ここは基本的に拡散だが、拡散だけに頼ると需要に追いつかない場所がある。筋肉・心臓・脳では、膜間腔のクレアチンキナーゼがATPのリン酸をクレアチンに移してクレアチンリン酸にし、それが運び屋として働く。需要地に着いたら逆反応でATPに戻す。これをクレアチンリン酸シャトルと呼ぶ。緩衝材と運搬役を兼ねている。

第三に、工場のほうを運ぶ。 ここが一番面白い。神経の軸索のように細胞体から遠い場所では、ATPを届けるのではなく、ミトコンドリアそのものを現地へ移動させる。運ぶのはキネシン(KIF5)で、MiroとMiltonというアダプターを介してミトコンドリアをつかみ、微小管の上を歩いていく。しかも到着の合図はカルシウムで、活動中のシナプスでカルシウムが流れ込むとキネシンの輸送が止まり、ミトコンドリアはその場に居座る。MiroとMiltonを失うと軸索からミトコンドリアが消え、神経筋接合部で枯渇することが確かめられている。

つまり「運ばれ方」の答えは、ATPを長距離輸送するのではなく、発電所を需要地へ歩かせるだった。そしてその歩行自体がATPで動いている。

熱力学第2法則の穴を、どう突いて効率を最適化しているか

「穴」ではなく、もともと法則の外にいる

効率がほぼ100%と聞いて第2法則を疑いたくなるのは自然だが、比較対象が違っている。カルノー効率という上限は、熱源と冷却先の温度差から仕事を取り出す機械にかかるものだ。自動車のエンジンや火力発電所がこれにあたる。

分子モーターは温度差を使っていない。細胞の中は一様な温度で、動力はATPの加水分解という化学ポテンシャル差から来る。等温で化学エネルギーを直接仕事に変える機械には、カルノーの上限は意味のある制約にならない。原理的には効率1に届きうる。

ファインマンのラチェットが教えること

熱ゆらぎは前にも後ろにも同じだけ叩くこと、爪車を付けても同じ温度なら爪自身が熱で跳ね上がるので回らないこと、ATP加水分解という平衡から離れた化学ポテンシャル差を加えて初めて戻り道が塞がれることを、3段で示した図
図2: 一方向に進む力は爪の形からではなく、平衡から離れていることから来る

熱ゆらぎから仕事を取り出す装置を考えると、必ず行き着くのがファインマンの爪車だ。物理学講義の第46章で、水に浸した羽根車に爪車を付ければ一方向だけに回りそうに見えるが、装置全体が同じ温度なら回らない、と説明されている。爪自身も熱運動で跳ね上がるので、逆回転を同じ確率で許してしまう。

だから一方向の動きを作っているのは、爪の形ではない。平衡から離れていることである。細胞がそれをどう用意しているかというと、ATPとADPの比を平衡から大きくずらして維持している。標準状態のATP加水分解の自由エネルギー変化は約 −30.5 kJ/mol だが、細胞の中では約 −57 kJ/molになる。ATPとADPの比が平衡から10桁ほどずれた値に保たれているためで、この「戻れなさ」が動力の正体だ。

なお、モーターが力を出す瞬間の描像にはパワーストローク(入力エネルギーが直接かたちを変えて押す)とブラウニアンラチェット(熱ゆらぎで前後に動くうち、後退だけが塞がれる)の2つがあり、どちらがどの程度効いているかは今も議論が続いている。実際の分子モーターは両方の混合と考えられている。

実測すると、ほぼ100%だった

ここは理論ではなく測定がある。豊田ら(中央大学・宗行英朗研究室)は、F1-ATPaseに電気回転法で外部トルクをかけ、非平衡の等式を使って熱の流れを見積もった。

プローブの回転自由度を通る熱の流れと、外部負荷に対してした仕事の和は、ATP 1分子の加水分解あたりの自由エネルギー変化にほぼ等しい。つまりF1-ATPaseは、熱ゆらぎのある環境で効率ほぼ100%で働いているToyabe, Okamoto, Watanabe-Nakayama, Taketani, Kudo, Muneyuki, Phys. Rev. Lett. 104: 198103 (2010)

1998年の時点でも、120度1ステップでした仕事がATP 1分子の自由エネルギーにほぼ等しいことは測られていた(Yasuda et al., Cell 93: 1117-1124)。ゆらぎの中で動いているのに、取りこぼしがほとんどない。

第2法則は「平均」の法則である

分子1個の世界では、第2法則の見え方が変わる。小さい系では個々の軌跡が一時的に逆行することがあり、分子モーターも後ろ向きに1歩下がる。これは法則違反ではなく、ゆらぎの定理が量的に予言する通りの振る舞いだ。第2法則が禁じているのは、その逆行を平均として仕事に変え続けることのほうである。

「穴を突いている」という言い方に一番近いのは、おそらくこの層だろう。法則は平均について語っていて、分子1個はその平均の内側で前後に揺れている。生き物はその揺れを消そうとせず、前へ出たときだけ確定させる仕掛けを持っている。

マクスウェルの悪魔は、実際に作れてしまった

この筋をさらに進めた実験が日本から出ている。豊田・沙川・上田・宗行・佐野は、ブラウン運動する粒子の位置を見て、たまたま上がったときにだけ足場を掛ける操作を繰り返し、熱ゆらぎから仕事を取り出したNature Physics 6: 988-992, 2010)。情報をエネルギーに変換できることを実験で示した仕事で、マクスウェルの悪魔の実現と呼ばれた。

それでも第2法則は破れていない。悪魔の側が情報を得て、保持し、消去するのにコストがかかるからだ。帳尻は情報処理の側で合う。共著者の宗行英朗が上のF1の実験と同じ人であるのは偶然ではなく、F1という現物のモーターを測る手つきが、そのまま悪魔の実験に持ち込まれている。

代償 — 「効率の最適化」は一方向ではない

最後に、ここは誤解しやすい。効率ほぼ100%は、ゆっくり動かしたときの姿である。速く動かすほど、また出力のばらつきを小さくするほど、余分な熱を捨てる必要が出る。

これを一般的な形で述べたのが熱力学的不確定性関係で、定常状態で出力のばらつきを小さくするには、それに見合う散逸が要ることが示されている(Barato & Seifert, 2015)。精度には値段がつく。

つまり生き物が最適化しているのは効率という1つの量ではない。速さ・正確さ・効率のあいだで配分を選んでいる。F1が効率ほぼ100%を出せるのは、そういう条件を選んだときの話であって、細胞がいつでもそこにいるわけではない。

酸素の役割 — 燃料ではなく、分子モーターを回し続けるための出口

酸素は燃えていない。電子を受け取って水になっている

日常の感覚では、酸素は「燃やすもの」だ。だが細胞の中で起きているのは燃焼ではない。電子伝達系の末端にある複合体IV(シトクロムc酸化酵素)が、酸素分子に4個の電子と4個のプロトンを渡して水にしている。この反応に合わせて、複合体IVもプロトンを膜の外へ汲み出す。

触媒ではない理由もここにある。触媒は反応を助けても自分は消費されないが、酸素は水になって消える。酸素は使い切られる受け取り役である。

なぜ酸素でなければならないのか

選ばれている理由は還元電位にある。電子を渡す側のNADH/NAD⁺は約 −0.32ボルト、受け取る側のO₂/H₂Oは約 +0.82ボルト。差し引き約1.14ボルトの落差があり、この落差ぶんの自由エネルギーが、4つの複合体でプロトンを汲み出す仕事に変わる。酸素は落差を最大にする受け取り役として、たまたま手近にあって、たまたま非常に強い。

落差があるかないかで、取れる量が桁で変わる。酸素という出口がなければ、糖1分子から取れるのは解糖系だけの2個のATPにとどまる。出口があると30〜32個になる(教科書が長く使ってきた36〜38個という数字は、P/O比の見直しで下方修正された)。

息を止めると苦しい理由は、燃料切れではない

出口が塞がると何が起きるかを考えると、酸素の役割がはっきりする。酸素が来ないと複合体IVで電子が渡せず、電子がその手前に溜まる。溜まると複合体I・IIIも電子を送れなくなり、プロトンが汲めなくなる。プロトン駆動力が落ちれば、ATP合成酵素は回らない。

つまり止まるのは末端ではなく、鎖の全体である。燃料が尽きたのではなく、行列の出口が閉まって手前まで詰まった状態だ。この意味では、「酸素が分子モーターを回している」という言い方は比喩として正しい。ただし直接回しているのはプロトンの流れで、酸素はその流れを止めない役をしている。

代償 — 電子はときどき漏れる

強い受け取り役を使うことには代償がある。電子伝達系を通る電子のうち一部は、複合体IのFMN部位や複合体IIIのQサイクルで途中の酸素と出会い、不完全に還元されて超酸化物(スーパーオキシド)になる。見積もりには幅があるが、消費される酸素のうち0.2〜2%ほどがここへ回るとされる。

だから好気呼吸は、桁違いの取り分と引き換えに、活性酸素を処理し続ける仕組みを常時動かす必要がある。酸素を使うのは得だが、ただ得なだけではない。

動画で見るなら

ここまでの話は、映像で見るとかなり印象が変わる。CGアニメーションと顕微鏡の実写、それから研究者本人の講義を分けて集めた記事を別に書いた。

ATP合成酵素が回る動画を16本集めた。CGと実写の両方を見ないと熱ゆらぎを見落とす

CGを見ると装置が精密機械に見える。高速原子間力顕微鏡で撮った実写を見ると、ガタガタ揺れながら進んでいる。この章で書いた「熱ゆらぎを消さずに使う」というのは、後者のほうに写っている。

#ATP#分子モーター#生物物理#熱力学#ミトコンドリア