民族構成

台湾の人口2,340万人を、年表ではなく「5つの問い」で分け直す。 本省人・外省人・客家・原住民16族という4区分は数字で覚えるより、 「なぜそう呼ばれるのか」「なぜここ30年で意識が変わったのか」で押さえると、 『街道をゆく40』に出てくる人物の話が立体的に読める。

このページで考える5つの問い

  1. 本省人と外省人は何が違うのか?
  2. なぜ客家は独自の言語を保てたのか?
  3. 原住民はなぜ「9族」から「16族」に増えたのか?
  4. なぜ「台湾人」アイデンティティはここ30年で激増したのか?
  5. 二・二八事件は本省人外省人の溝にどう刻まれたか?

4集団の全体像

まず数字を一目で。族群の分け方は時代で揺れているが、おおまかには以下の比率で語られる。 ただし戦後70年以上が経って世代が重なったため、「本省人/外省人」の当事者意識は若い世代ほど薄れている。

集団比率の目安主な定義主な居住地
本省人(福佬/ホーロー)約70%17世紀以降に福建南部(閩南)から渡来した漢人とその子孫島全域(特に台南・高雄・台北など平地)
本省人(客家)約14%広東東部・福建西部から渡来。独自の言語と慣習を保持桃園・新竹・苗栗・屏東・花蓮
外省人約10%1945〜1949年前後に国民党とともに大陸各地から渡来した漢人とその子孫台北周辺の眷村が起点。現在は全土に分散
原住民(16族)約2.7%オーストロネシア語族系。漢人渡来以前から居住中央山脈・東部(花蓮・台東)・蘭嶼

2025年末時点で公認原住民は629,456人(総人口の約2.7%)。福佬・客家の比率は調査主体により幅があり、ここでは行政院統計の代表値を採用している。

Q1. 本省人と外省人は何が違うのか?

ふたつとも漢人だが、台湾に来た時期と話す言葉が違う。 本省人は17世紀以降に福建・広東から渡ってきた人々の子孫で、日本統治の50年間を経験している。 外省人は1945〜1949年前後、国民党とともに大陸各省から渡ってきた人々で、北京語や上海語など多様な大陸語を持ち込んだ。

外省人は「全国から来た人」の集まりなので、福建語(台湾語)も客家語も話せない。 だから戦後の国民党政権は 北京語(國語)を唯一の公用語として徹底し、 本省人エリートは戦前は日本語、戦後は北京語と、人生で2度も母語以外の言語で考え直すことになった。
李登輝(中華民国第7・8代総統)
李登輝(1923–2020)。本省人で客家系。日本統治期に旧制台北高校・京都帝大で学び、戦後は北京語を学び直した。 司馬遼太郎との対談で「22歳まで日本人だった」と語ったのは、この言語の二重切替の象徴。 Photo: Wikimedia Commons

2026年現在、外省人の比率は約10%まで下がり、若い世代では本省人との通婚も進んで「自分は何省人か」を意識する場面は減った。 ただし政治の地形図には残っており、藍(国民党系・親大陸)/緑(民進党系・本土派)の対立構造の底流をなしている。 戦後と民主化のページでこの政治対立を扱う。

Q2. なぜ客家は独自の言語を保てたのか?

客家は漢民族の一支流だが、独自の言語(客家語)と祖先意識を持つ。 台湾には北部の桃竹苗(桃園・新竹・苗栗)と、南部の六堆(屏東・高雄)に二大集住地がある。 新竹県の客家比率は71.6%、苗栗県は64.6%。市場でも家庭でも客家語が普通に飛び交う。

台湾における客家語使用分布図(2010年)
台湾における客家語使用率の分布(2010年調査)。桃園・新竹・苗栗の北部ベルトと、屏東・高雄の南部「六堆」の二大集中が明瞭に見える。 Photo: Wikimedia Commons
客家が言語を保てた理由は2つある。第一に、彼らが定住したのは 福佬人がすでに占めていた平地ではなく、丘陵地や台地だった点。 集落単位で固まって住み、外との混血が起きにくかった。 第二に、清代に郷土防衛組織「六堆」を組織して武装自衛したこと。 独自言語と集団行動力をセットで持ち続けたから、200年以上たっても客家語は消えなかった。

日本統治期には総督府が客家語を独立した一言語として扱い、戦後の国民党も結局抑え切れなかった。 2001年には客家委員会が設置され、現在はテレビ局「客家電視台」も24時間客家語で放送している。 李登輝家は新北市三芝の客家系で、桃竹苗・六堆とは別ルートで台湾北端に渡った系統にあたる。

Q3. 原住民はなぜ「9族」から「16族」に増えたのか?

台湾の原住民はすべてオーストロネシア語族系で、漢人渡来以前から住んでいた。 現在の中華民国が公認する原住民族は16族だが、これは固定された数字ではなく、1980年代までは「9族」だった。 民主化以降に独立した族として認定された経緯がある。

台湾原住民16族の分布図
台湾原住民16族の分布。中央山脈と東海岸(花蓮・台東)、そして離島の蘭嶼に集中する。 阿美族が約21万人で最大、雅美族(蘭嶼)が約4,800人で最小。 Photo: Wikimedia Commons
「9族」時代は、日本統治期の人類学者・伊能嘉矩らが残した分類を国民党がそのまま流用したもの。 2000年代以降、各部族が自ら「我々は別の言語・別の祖先意識を持つ」と申し立て、 審査を経て独立族として認定された。邵族(2001)、噶瑪蘭(2002)、太魯閣(2004)、撒奇萊雅(2007)、賽德克(2008)、拉阿魯哇・卡那卡那富(2014)。 族数が増えたのは、人口が増えたからではなく 民主化で「誰が族を決めるか」が変わったからだ。
阿美族の伝統舞踊(Amis Music Festival 2016)
阿美族の伝統舞踊(Amis Music Festival 2016、花蓮)。阿美族は台湾原住民の最大集団で、東海岸の花蓮・台東に集住する。 Photo: Wikimedia Commons

さらに2025年10月の「平埔原住民族身分法」と2026年1月の関連法整備により、漢化が進んでいたシラヤ(Siraya)など平埔(へいほ)系10族にも法的アイデンティティが拡張されつつある。 16族の数字も、近いうちにまた変わる可能性が高い。

Q4. なぜ「台湾人」アイデンティティはここ30年で激増したのか?

國立政治大學選舉研究中心が1992年から継続している調査がある。 設問は「あなたは自分を台湾人だと思うか、中国人だと思うか、どちらでもあると思うか」。 この30年余の推移が、戦後台湾の意識変化を一枚の絵にして見せてくれる。

台湾人中国人どちらでもある
199217.6%25.5%46.4%
2008頃40%台一桁40%台(拮抗)
202067.0%2.4%27.5%
2024.261.7%2.4%(最低)32.0%
「中国人」アイデンティティは32年間で 25.5% → 2.4% へほぼ消滅した。 消えた人々が「台湾人」へ流れただけでなく、「どちらでもある」が緩衝地帯として機能し続けていることが面白い。 若い世代ほど「台湾人」と答える率が高く、世代交代でこの傾向は今後も強まる見込み。

司馬遼太郎が訪台した1993〜1994年は、ちょうど「中国人」と「どちらでもある」が拮抗していた転換点にあたる。 李登輝による民主化、1996年の初の総統直接選挙、2000年の民進党陳水扁政権、2014年のヒマワリ学生運動、2016年の蔡英文政権と、政治的事件のたびに「台湾人」グラフが階段状に跳ね上がってきた。 詳しくは 戦後と民主化 へ。

Q5. 二・二八事件は本省人外省人の溝にどう刻まれたか?

1945年の終戦で日本が引き揚げ、中華民国(国民党)が台湾を接収した。 本省人は当初「祖国復帰」を歓迎したが、すぐに国民党行政の腐敗・インフレ・本省人差別への失望が広がる。 1947年2月27日、台北の闇煙草取締りで女性が殴打されたのをきっかけに、翌28日のデモに憲兵隊が発砲、蜂起は全島に広がった。

二・二八事件記念モニュメント
二・二八事件の記念モニュメント。事件は戒厳令下で50年近くタブー視され、1995年に李登輝総統がはじめて国家として公式謝罪した。 Photo: Wikimedia Commons
国民党は大陸から増援を送り、本省人の医師・弁護士・教員・地方議員といったエリート層を狙い撃ちにして連行・処刑した。 日本統治期に育った台湾人知識人の「ひと世代」がほぼ消えてしまったため、 戦後台湾は本省人と外省人の知的格差を長らく引きずる。 司馬遼太郎が描いた「日本語族」とは、この大虐殺を生き延びた稀少な世代でもある。
蒋介石(中華民国総統)
蒋介石(1887–1975)。1949年の国共内戦敗北で約120万人を率いて台湾へ渡り、戒厳令下の長期統治を敷いた。二・二八と続く白色テロの最高責任者でもある。 Photo: Wikimedia Commons

犠牲者数の推計には幅があるが、1万8千〜2万8千人前後の数字が広く引用される。 二・二八と続く白色テロ(戒厳令期 1949–1987)は、戦後台湾の本省人外省人関係を理解する原点。 この記憶が、現在の藍/緑の政治対立の底流にも、Q4で見た「台湾人」アイデンティティの増加にも、地下水脈として流れ続けている。

原住民16族 — 北から南へ

最後に、Q3で扱った16族の地理的な配置を一覧で残しておく。中央山脈と東海岸、そして離島の蘭嶼に分布する。 言語はすべてオーストロネシア語族で、漢語とは系統が異なる。

  • 北部・中部山地:泰雅(Atayal)、賽夏(Saisiyat)、賽德克(Seediq)、太魯閣(Truku)
  • 中部・日月潭周辺:邵(Thao)、布農(Bunun)、鄒(Tsou)
  • 南部山地:魯凱(Rukai)、排灣(Paiwan)、拉阿魯哇(Hla'alua)、卡那卡那富(Kanakanavu)
  • 東海岸(花蓮・台東):阿美(Amis、最大族)、卑南(Puyuma)、噶瑪蘭(Kavalan)、撒奇萊雅(Sakizaya)
  • 離島(蘭嶼):達悟/雅美(Tao/Yami)

出典・参考